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椅子

言葉を知っていればこそ、イメージすることができる。知らない言葉の意味を知るためにはどうすればいいのか。
❶一番シンプルなのは、経験によって知ることだ。椅子を見たことがない人に椅子をわかってもらうには、椅子を見せて椅子に座らせてやるのが最も早い。
❷しかし、椅子を見たことがない人に椅子を想像させることも可能だ。椅子以外で、「経験済み」の言葉で説明することによって、経験よりも正確ではないかもしれないけど、椅子の意味を理解してもらうことが出来る。
❸あるいは、椅子という言葉が出てくる文章から椅子がどういうものであるのか推測できるかもしれない。人間が座るもので、背もたれがあって、、、ということくらいはわかるかもしれない。

✨さらにスケールを大きくして、未来予測、みたいなものを考える。❶❷❸を想定すれば、将来は今までの経験をそのままブチ込んだり、経験を組み合わせたり、言葉を組み合わせたり、経験や言葉から類推して、推測することができる。

しかし、経験etcの組み合わせで未来を予測しても面白くないんじゃなかろうか。経験は過去のものなんだから、予測される未来は、過去、現在、の延長線上にあるもののはずで、「みんなわかってるよそんなこと」くらいのことしかわからないんじゃないか。なんとなく、そういう未来の予測の仕方は、閉塞感を生み出す。(さらには、この閉塞感をだれか壊してくれないかなー、という革命待望?の空気を生み出す。)

ではもっと主体的に未来をいくつかの選択肢から選んでいくためにはどうすればいいのか。

1つの可能性として、この閉塞感を打破したい、ぶっ壊してやりたい、という破壊願望をいい方に持っていく方法があると思う。ここでいう破壊とは、今ある現実や、将来高確率で起こりそうだとすでに分かっていることが、一部失われて、起こりそうもなかった非現実のものが、その空白を埋める形で現実になる、ということが言いたい。(この破壊願望が悪い形で現れたのがポピュリズムかも。)

たとえば、小説にのめり込んでしまうのは、少なくとも自分は、現実から逃避したい時や、一旦現実を凍結したい時に、のめり込む。つまり、現実にうんざりしてる時だ。

つまり、現実の閉塞感、と美しい想像の世界という、「落差」があれば人間は、単なる延長線ではない未来を主体的に想像できるんじゃないだろうか。

もっと広い言い方をすれば、人間が主体的に未来を選択してやるためには落差が必要なのだ❗️もっと極端な言い方をすれば、未来を主体的に選択するには、今にうんざりする必要があるのだ❗️長かったけど結論です。

論理的な間違いがいっぱいありそうなので指摘していただけると幸いです。